流行のペットの躾方、そして、古い訓練方法?

いわゆる、どんなときにも吠えてはいけない(無駄吠えの定義?)。
走ってはいけない(散歩の時にはリーダーウォーク)とか、地面をやたら嗅いではならない等、やってはならない行動ばかりだと・・・

ともすると、家庭犬の躾の方が犬の行動を制限する事ばかりかもしれない?
もしかすると、一方的な人の押し付けの躾?かもと、思う様になったのです。
飼い主は犬を自由にさせてしまったあげく、その行動を都合良く・悪く解釈します。
いわゆる、観ていないときには、犬の行動は犬任せ、反面、躾とは○○であるべきという、形式を、都合良く犬に押し付けます。
出来ない行動は犬自身に責任を押し付けます。
犬が正しい理解をして動くのではなく、飼い主によってその都度、犬の行動を制限しているだけに過ぎません。
家庭犬の躾って、犬が理解して動けるようになる事ではないかもしれません(憶測)、餌に惹き付けて、他に気を反らせないように(他の行動を回避)しているだけかも?
これは誘導であって、犬の理解ではないでしょう。
餌がなければ制御不可能な犬を作っているだけ?・・寂しいです。
いわゆる飼い主が如何にして犬の行動を制限可能かどうか?
きっとそうに違いない(私感)

私は常々、犬のまんまを受け入れて、許すことからスタートしたいと思っています。
言葉表現は受け取り方も様々ですから、「許す」って表現が都合良く解釈されるのもちょっと、
困るけれど・・・
無駄な行動として、人間にとって不都合な行動を定義付けられる犬達!
犬は犬なりに、生きていく上で必死に有効な手段を学習して行動にでているだけかも・・
人と犬との生き物としての相違があり、必ずしも犬の善し悪し(判断)と、
人の善し悪し(判断)は、一致しないのです。
飼い主は一方的な人間の判断を犬に求めます。これでは犬が可哀相かもしれません。
一例として、吠えさせたくないならば、犬が吠えずに済む環境を用意してあげればよい事を、
叱って或いは矯正して直そうとする。
犬が噛んでしまうなら、噛まない状況を作ってあげれば良いはずです。
吠えるのも、噛むのも犬にとっては立派な理由が存在するのです(私感)。
生きるために無駄な行動を犬は取らない?
無駄と定義付けるのは人なのです、無駄って言葉は犬自身には存在しないかもしれません。
犬のこうした行動を制御するには・・・
犬より先に飼い主が気付くことで避けるしか手段はないかも。
呼んでも来ない犬を、ドッグランで遊ばせます。
そして、愛犬は囲いの有るところでしか離せない状況に陥るのです(爆)。
悪循環です(私感)。
飼い主との関係が曖昧なまま、犬同士で遊べる事を微笑ましい光景として許してしまう?
これでは、飼い主を無視して遊んで良い事を学習してしまうのではないかな?
さて、自分の犬が楽しければ相手(犬・人)は構わないのでしょうか?・・
相手構わず愛犬が、近づいていったとき、相手に吠えられた場合には、相手が悪いのでしょうか?
挨拶が出来ない犬として烙印を押すのでしょうか?
相手にどの様に映るかも、考えて行動してほしいかなぁ?

何を優先させるのか?よく考えて犬を育てたいと思ます。

犬を守るって表現も、本音は深い意味を持ちますが、これも、誤解を招いちゃうし・・
犬との暮らし=如何にして安全を期することが可能かどうか、と思います。
犬を飼うべき人間の掟
と考えます。

犬訓練でも同様です。
「こうあるべきだ」と依存訓練に陥り、指導側が作業を理解不十分なまま、
犬を柔軟に受け止めず、一方通行に陥ると犬の心はドンドン壊れてきます。

犬は、おおよそ、2歳ぐらいまでに体験してきたこと(訓練も家庭犬の暮らしも)をベースとして、
以後の行動として表現されます。
従ってこの年齢までに『正しい知識&経験』をいかにして過ごしてきたか?
以後の行動は2歳までに培ってきた事を応用して全て顕れてきます(私感)。
人間が失敗させた事実をも、犬は成功例(有利な行動)として学習します。
さて、犬は犬也に飼い主を冷静に判断します(私感)。 
犬の失敗を頭ごなしに訂するだけの暮らしに陥ると、犬の意欲は減退の道だけにます(私感)。
失敗は全て飼い主(指導手)に原因がある。
原因をしっかり突き詰めねば、犬の行動は変わりません。
犬じゃなくて、飼い主が変化しなければなりません。
犬に顕れる行動は、生まれてからの犬の学習・経験に由来します。
勝手にそうなったのではありません。
飼い主に、許された行動(見逃された行動・・
犬にとっては好都合の経験)が、そのまんま表現されるだけのです。

さて、比較的早い年齢で、犬の意欲が衰えるのは、「指導手(飼い主)が原因のある教え〜
2歳までに作られた事(理解)」を、無理矢理直そうとする事から生まれるかもしれない(憶測)。


正しい作業理解を飼い主(指導手)が犬に伝えられないのであれば、
犬が自ら出した答えを褒めることに寄って、作っていけたらいいかも?
または、正しい応えを出せる状況とはどんなアプローチをすれば良いかを考えるようになりました。
これは長い道のりになりますが ・・・

私は既存の訓練理論を知ることも、素晴らしい見本も見ることが可能ですが、
だからといって同じように出来るはずもない。 
可能な限り近づきたいけれど(本心)・・
犬も違うし、環境も違う。 
自分で解るまでは、まんま用いずに、考え続けて充分納得し、行動にしたいと思いました。 
犬に甘いと思われること(自認)も屡々の親バカ指導手です。 
然るに、出来ないことはやらない!解ってから行動する! 
遅くても、自分で解るまでじっくり考えよう!って 
【余談:正しい教えを熟練者に早い段階で入れてもらう手段はかなりの有効な手段です。
この場合は、しっかり受け継げなければなりません。飼い主も学びましょう。
せっかくの教えを無駄にすることの無いように】

私は犬の柔軟性が失われない暮らしを第一に育てたい(言い訳)。
甘いけど・・犬って既存の生き物の中でとても賢い生き物だと想えるからです。
限られた情報の中で、自ら応えを編み出せる生き物だと想えるし・・

もう、変えようがない箇所も多いけれど(恥)。 
犬から色んな事を学べる♪私はそれだけで満足かも

型にはめない!充分に解っていない事は犬に押しつけない! 
犬が理解出来ないことは、犬より先に人間が気付くことで避ける(守る)!

私の犬道です。 
犬は最愛の友だし、素直な生き物だと思う。 
素直じゃないのは人間じゃないかと(爆)

犬は加齢(2歳以降)し、もう変化がないって・・
大抵は修正しているだけに終わる?大半はそんな感じだと睨んでいます。
一時的に良くなることもあるでしょうか、タイミングや周辺環境によって多少は変化しますが・・

然るに、良い方向に変化を見せてくれる愛犬達に感謝しちゃったりして(親バカ)。
あっ、良くなる可能性は、その逆の、悪くなる可能性にも繋がりますこれぞ、人生なり

犬にどの様に伝えたら、共通の理解が生まれるか? 
永遠のテーマです。

ああ、犬との暮らしはエキサイティングです 。

犬の瞳に顕れてくるのではないかな?
人と犬の心がピタッと来るように、犬の詳細を観察し、どうしたら、お互いが理解可能になるか?ずっとずっと考え行動したい(理想)。

「何故?」「もしも」を常々頭に描いていたい。
犬は生き物、千差万別・・・既存のマニュアルが全てに合うはずもない。
絶対論って存在しない。安易に教えを請うのはやめましょう。
まんま、信じるのはやめましょう。
先生を選ぶ際には、既存マニュアルでしか教えられない人を選んではなりません。
飼い主の質問に即答出来る人、或いは犬(個体)をしっかり見取れる人を選びましょう。犬経験・訓練経験の豊富な人を選びましょう。本に書いてあることは一事例に過ぎないのです。
そして、本の状態じゃなくても不安に陥らないようにしましょう。
犬の数だけ、人の数だけ以上に生き方は千差万別でしょう。

人と犬の信頼関係をしっかり築いて、先に進めて行きましょう。
犬に変化を求めるなら、飼い主自身が、心を、行動を、犬へのアプローチをチェンジすることです。

でなけりゃ、犬は変化できないでしょう!

追記:ペットとしての存在より、思いっきり運動かけてトレーニング出来る犬の方が
満ち足りた暮らしかも?って最近思うようになっちゃった(笑)
ペットってなんなんだろう?私は犬を飼っているのだ!




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