この前、ウォータートライアルの講習会で、カーミングシグナルを学んできた。2・3年前にビデオや本でも知っていたが、現地の講師に直接聞くことで、今まで解らないことも学べた。要は犬が発するボディランゲージのことだが、興味を持って愛犬を観察すればするほど、色んな言葉が或るモンだと感じた。
簡単に言えば、本・ビデオなど読まなくても、飼い主の観察力と分析力で独自のモノも見付けられる可能性がある。自分の犬と理解を深めるために、観察・分析が一番なのかも知れない。トレーニングをしていく上で、愛犬を理解していく上でとても参考になる。
私は時々犬になって?愛犬と遊んでやる。擬人化の反対の疑犬化である(笑)。愛犬を擬人化するのはあまり感心しないが、人間が疑犬化するのは犬を理解する上で有効打かも知れないと思っている。犬に大して、見下す状態(命令)を中断して、並行感覚で愛犬を見つめるために行っている。犬社会は厳格な縦社会で繋がっているが、上位の犬が時々、下位の犬に接するときに、腹を見せて遊んでやることがある。私は、こうすることで、普段、主従関係の仲で隠されている(押さえられている)何かを見付けるために行っている。
トレーニングは、通常、絶対的な支配から教えることも存在する。この絶対的な支配とは、支配する人の腕が相当良くないと、理解どころか、犬の資質を壊してしまうことが有るかも知れないと思っている。素人の私は、経験が浅いから、絶対的な支配をするのは相当のズレが生じてしまう恐れがある。
絶対的支配が可能な関係は、犬から尊敬をされる立場(飼い主)じゃないと不可能だ。
形だけを理解して(指導主の能力不足の間々)、犬に理解しなさいと言うのでは、愛犬が可哀相である。
強制的に犬が動くのではなく、飼い主を心から喜ばせたい・飼い主と喜びを共有したいと心から願う犬を作っていきたいと思っている。
タダ、甘やかして愛犬に合わせるのではなく、愛犬が喜んで動いてくれる犬を作りたい。だから私は、時にはもの凄い勢いで叱ることも有る。叱るという行為は、他人から見て叱る行為ではなく、愛犬が叱られたと思える叱り方である。時には虐待?と思えるかも知れないが、愛犬に伝えるために油断してはならない。
裏を返せば、どんなにひどい仕打ちをしても愛犬に伝わらなければ、ナンにもならないし、大して叱っていないように見えても、愛犬が誤ったと判断できればその方が有効である。周囲から見て虐待に感じられても、犬の理解を得られればそれも真也。そこには、限りない愛犬への愛情が隠されているのだ。私は自分の言葉でこれを、愛の虐待(爆)と呼んでいる。何故こう呼ぶのか・・・心の中でに、一物の悲哀を持っているから、、叱る自分が哀しいから。。。そこには、失敗をさせた、私に一番問題があるから。。。
叱る(チェックする)ときには10の力を持って瞬間的に。。褒めるときは100倍褒める?
叱るも褒めるも瞬間的がベターかも知れない。そして、始めの段階から完成に向けて、誉め方も変化させる方がよい。いつも同じ調子では、いつまでたっても、次の段階へ進めないからだ。そして、故意に失敗するように仕向けて、その時に修正を加え、理解を深める手段をとることもある。修業不足の私には、まだまだ正解が未知数なので、ハッキリとは断言できないから、愛犬にとっての良い師匠に教えを請いながら、愛犬に伝えていきたいと思っている。。。。序章
これは、犬の頭から尻尾にかけての上部のライン。
犬が緊張したときに毛を立てる部分。普段私達は気軽に撫でている場所。ココはボス(上位)の犬が、下位の犬に顎の部分を覆い被せて挨拶をしている事から、支配の場所なのです。飼い主対愛犬の場合は、ココを撫でても何ら問題はない、つまり、愛犬が飼い主をボスと認めているから。ところが、愛犬にとって初対面の人に出会った場合、ココを他人に触れさせて、愛犬に我慢をしなさい、と、するのは、私としては、シャイな犬の場合は可哀相かと思ったわけです。犬の気持ちになって考えると、かなり、愛犬に無理をさせているように思えるのです。
シャイな犬の場合には、信頼されるボス(指導者)になって、愛犬を安心させてあげることで、外部との接触をスムーズにしてあげたいモノです。愛犬と飼い主との絆が出来ないままだと、シャイな犬の場合は、自分で自分を守ろうと、必死でガウガウ先制攻撃するようになります。ちょっと目があっただけでガウガウ言う犬は、飼い主をあてに出来ずに自己防衛を計ろうとするためです。愛犬になるべくストレスを感じないように飼い主が管理をしてあげて欲しいと思います。
ついつい私達は、褒めるときに犬の頭を撫でてしまいがちですが、ココは、褒めるツボではなく支配のツボだったことを知って、ビックリしたというお話・・自分の愛犬の性格を理解して、考慮して欲しい。
撫でるときに、犬が耳を後ろに自動的にそらすのは、撫でやすくするためではなく、服従している(相手を敬っている)から、耳が自動的に後ろにそれるのです。つまり、撫でる行為に対して、「あなたは私のボスです。解っています」って感じかな?・・・これを、愛犬から見て、飼い主以外の多数の人にまでするように仕向けては、可愛そうかなと考えた次第です。
ついついガウガウ言ってしまう犬をお持ちの方に対しては、犬の理解を作る上では、逆に朗報ではないかと思ったわけ。知らない人・犬に愛犬を会わせる場合にはこの点を理解して、愛犬を上手く扱って欲しい。。。。そして何よりも、愛犬との絆を深めて欲しいと思う。
【注:ハンドシャイはどうして作られるか?日頃犬を叱るとき、頭ごなしに手をあげる飼い主が居ます。一番身近である飼い主から、常々手で頭などをなくられている犬は、他人をどう見るのでしょうか?撫でようとした手を殴られると、解釈するようになるかもしれません(憶測ですが・・・)】
個体差があるから、どれが一番の褒めと一概に言えない。胸のあたり・唇・胸骨などかな?褒める度合いによって、ポンポン勇気づけたり、毛を逆なでしたり、なで下ろしたりする。一番の褒めは、飼い主の心からの褒めだと考える。おやつでもなく、ボールでもなく、飼い主の褒めだと思う。一番大事なのは、褒めは取引ではなく、賛美なのだと言うこと。愛犬が取引と思って動くことに対しては、褒めは与えない。愛犬が飼い主と喜びを共有したいと思って自主的に動いたときこそ、絶賛に値する。
支配のツボは、飼い主が支配者と示すのに使うと良いでしょう。愛犬にこれを受け入れさせることを教えると、自ずと飼い主=ボス。これは、愛犬にお腹を見せさせてジッとさせる行為を子供の頃からする方がよいと言う教えと似ています。叱るときには、仁王立ちに犬と対面して真剣に怒りましょう。首を持って、持ち上げて目をジッと見つめて叱るのも有効かも知れません。愛犬との絆が強い場合は、無視するという手段も有ります。これは結構飼い主の方で我慢できなくて、ついつい中途半端になってしまうこともありますが。。愛犬を怒る事と考えるより、愛犬に正しいことを伝える為に、どの様な修正方法が適切か、じっくり考えて使って欲しいと思います。あからさまに、感情的に叱っても、愛犬に伝えることが出来ないと思うから。。。私は、叱ると言う表現より、修正と言う表現を使って欲しいと、心から思っている。。。
一番大事なことは、愛犬は家族そのものであって、トレーニングの道具ではないと言うこと、愛犬と絆作りの為に、理解を深めるために、一緒に喜びを分かち合うために、犬と対話を持つことなのだと思う。
愛犬は生活上の糧です。相棒なのです。
上記は、私の個人的な意見です。個人差・個体差が多くあるかと存じます、ご意見は伺いますが、ご批判は何卒ご容赦下さいませ。By Windyママ
追記:シーザー・ミランの言葉・・・
人は、まず犬を迎え入れたときに愛情から注ぎます。
正しい犬との接し方は・・・規律、運動そして最後に愛情です。