犬は犬だ!この観点から犬とスポーツ(訓練)を楽しみたい私です。
人間の私が犬の視点で考えたいと言っても、少々無理があるかもしれません(爆)
理想論を言わせて貰えば犬の視点で犬を観察したい♪叱るから言うことを聞く、力で言うことを聞かせるのではなく、そこに信頼と尊敬が有るから言うことを聞く(受け入れる状態)。上下関係ではなく群としての役割分担だとおもう。
人間と犬とのチームワークで正しい理解を完成させるってイメージです。世に「絶対服従」という表現があるが、
人間は犬じゃないから犬のリーダーに成れるわけがないかもぉ?
人間だから、犬にとっては犬の指導手でしかないのだぁ。昔は、訓練士にシェパードを預けて、競技会に出して優勝したり、警察犬の依託になって喜んで居るオーナーさんが沢山居ました。
それも、人それぞれです。私は犬と暮らしを共にしたいから選択をしない、それだけのことです。
オーナーとして犬の資質を引き出す楽しみ方も存在します。なので、否定はしません。
むしろ、優れた血統を優れた犬として開花させ後世に伝える大切な役割を担ってくれる
頼もしい存在でしょう
さて、今はちょっと違ってきました。自分の家で、家庭犬として飼いたいという人が
主流になってきたことで、飼い主のニーズが変化してきました。
余談:日本独自の訓練スタイルにも変化が顕れてきました。これは朗報だと思います。
一般飼い主のニーズの変化が日本の訓練に変化をもたらしてきました。日本の場合、訓練は警察犬(古めかしいスタイル?)から始まったという経緯がある?
ずっとハウス(クレート)に入れておいて、出したときには「さぁ、やるぞぉ!」という感覚だった。
作業犬というのは、指示によって動かす、動いたら止めるということがメイン?なので、
訓練は「動中の静」らしい?一般的にはコマンドを待つ犬を作ることと称されるでしょうか?
<最近(20011)になって、これこそ犬の本性かと思うようになりました汗汗>因みに私が修業している訓練とはだいぶ違います・・・
『私の訓練=考えて動ける犬を作ること』あ〜理想は遠いけど(汗)
因みに犬に休息を与える・プライバシーを確保する=クレートです。
そして、トレーニングで良いと思えることなら、偏らずに、餌も他の道具もアレンジしたものも使います。日本の一般的な訓練(警察犬スタイル)と家庭犬の訓練との違いは・・・
家庭犬では、犬が落ち着いた状態から動かすこと、つまり「静中の動」らしいです(〜とある本から)恐縮ですが、警察犬の訓練法から出発した人は、
「何かを力でやらせる」という意識からなかなか抜け出せないでいるのかもぉ?
(全てという、意味ではありません。)いつもコマンドを待ってる犬に指示をしながら暮らすのってどうなのでしょうか?・・・いわゆるロボ犬って感じでしょうか?
指示を(型通りに)待つ犬---それは最初に自分が望んだ犬との暮らしではない。
これでは知らず知らずのうちに、犬が思い通りに動かないことにストレスを感じてしまう、
そこを何とかしなければと焦って試行錯誤をしてしまいます。
活き活きと動ける犬が理想ですね。一方の叱らないトレーニング方法は、フードをご褒美として使う場合が多いと感じます。
これでは健康状態に悪影響でないかなぁ?って心配します。一番誤解の多いのは、最初にフードを使うとフード無しでは出来なくなるというか、単なるルアーじゃないかという点です。勿論最初はルアーで良いのですが、ずっとルアーであり続けると、フードがなければ何もやらなくなっちゃう、ホントの「釣り」に陥ります。
どこかで褒め言葉とフードが同じ価値を持つことを犬に対して理解を伝えられなければ、トレーニングの過程を変化させられなくなってきます。
機嫌の良いときは、何でもする犬、だけど、気分が乗らないときはフードを出した瞬間に、芸はしたくないけれど、フードは欲しいからガーっと取りに来る。仕方がないから飼い主はフードを渡す。これじゃあ、褒美ではなく賄賂です。この事は、逆に躾によって問題行動を誘発していることに繋がってゆきます。
フードだけで釣ってきた人を、正しい陽性強化法に転換させるのはかなり難しいそうです。
やって来たことが似ているだけに、フードを使わずに犬を動かすという発想の転換が難しい、
犬も混乱します。
「褒めて躾る」と言う言葉はポピュラーになりすぎて、逆にその事が誤解を招いているケースが多そうです。フードを使うには、根本的な学習理論がなければ意味がないと思います。
フードはきっかけを作るための「関心事」だから、
やがて飼い主の「褒め言葉」に変わっても効果は変わらないはずなのです。クリッカートレーニングというのがありますが、これはフードの約束手形みたいなものです。例えば「座れ」と言って犬が座ったら、ピンポイントでクリッカーを鳴らすことによって正しい行いを定着させることが可能です。フードを与えるタイミングがずれても、先にクリッカーで正しい姿勢を認識させているから、このトレーニング方法は良いかも知れないなぁって考えました(私心)。
褒め所を間違ってしまうと、犬が正しい理解ができません(私も含める自爆)。
正しい座れの姿勢の時だけ褒める等、一貫性のあるトレーニングが可能にならない限り
試練は続きます(今も尚挌闘している私です)。フードを正しいタイミングで出せない→作業が曖昧になります。
褒め&修正を正しいタイミングで出せないのと一緒です。どのスタイルのトレーニングでも、タイミングが肝心です。
犬に作業を伝える前に、飼い主が作業に対して正しい理解を得られているかどうかが、最も肝心なことではないでしょうか?なので、私の結論は、犬より飼い主側の作業理解、そして、犬を犬として受け入れることだと、
心底思えてなりません。犬は犬のままなのです。
犬に甘えないで、もっと客観的に犬を観る目を養いたい〜。私にとって犬との暮らしは、犬を研究することだと、
つくづく思えるようになりました。訓練は犬とのスポーツ?
家での暮らしも、アウトドアーも競技会も、全ては群(チームワーク)としての暮らしかなぁって・・・言い訳三昧犬が呆けるまでは、大丈夫、諦めないで私は犬とトレーニングを楽しんでいこうと思います。
犬に教えるって感じではなく、犬そのものを受け入れ、犬を正しく導きたい〜永遠の課題です。
あ〜難問です>私自分にあったスタイルを、自分が理解できるスタイルを皆さんどうか楽しんで下さい♪上記で私が書いた感想は批判ではありません、シンプルな私感です。どうか許して下さい(汗)。
『犬にはリハビリ、人間には訓練』By シーザー 私が心を打たれた言葉です。
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