まあこ22歳と2ヶ月

本日(2007.10.31)未明に、第一の宝(まあこ)が別世界へお引っ越しをしました。
実は数日前から食べなくなり、歩くことはもとより、寝返りすら不可能になっていました。
様子を見ただけで、もう長くはないと感じてました。
お迎えが来てしまったと、想いながら・・・
「まあこ、ごめんね。私の心の準備できるまで少しだけ時間を下さい」と、
獣医へ行き静脈点滴&皮下点滴を受けました。
祈っても、お迎えはやってきます。
従って私は、まあこに、たくさんのお礼を言いました。
まあこの前足に指を触れると、まあこは私の指先を強く握り返してくれました。
私の話をしっかり聞いてくれているようでした。
私は低反発マットレスに横たわっているまあこを日に数回寝返りさせてました。
その都度、まあこと話を交わします。
まあこは前足で私の指先を握り返してくれました。
涙が止まらなくなりますが、必死でこらえて拭います。
だって、もう充分の愛を私に与えてくれたんだもの・・・
これ以上のわがままをすると、まあこ疲れちゃうかもしれない?

22歳と2ヶ月でまあこは私より先にお引っ越しをしてゆきました。
思えば、てんかん発作(18歳)から今日まで、私のわがままに付き合ってくれていたまあこです。私達にオマケを与えてくれたまあこです。
本当にありがとう。

猫の存在って、居るようで居ない?けれど、気になる存在でしょうか?
まあこの存在は、緩やかな、幸せを常に私達に与えてくれます。

発病して以来の私の日課は、毎日数回まあこの部屋へ通って、『ああ、今日も大丈夫だ』って、安堵に浸っていました。
Windyビレッジでも敷地内を自由にお散歩したり、犬たちのくわえた枝にじゃれて遊んだりしてました。エアストにも一緒に泊まったことがあります。心残りは、新しいエアストにまあこと一緒に泊まりたかった。

まあこは、私達の歴史を全て知っている猫です。
取材を受けるようなことがあったら、我が家の恥部が全て暴露されるでしょう。
ああ、愛しいまあこ、最愛の友です。最愛の長女は別の場所へ旅立ちました。

Windyがまずお別れに来ました。Rayは不思議そうにまあこをみました。
そうそう、昨日は私がまあこを抱いているときに
私「ねぇWindy、まあこ姉ちゃんは、もう疲れたって言っているのかなぁ?どう思う?」って聞いたのですが・・・
Windyは聞かない振りしているようでした。
Rayにも聞いたのですが、ハテナマークの顔してます。
私はまあこを部屋へ連れて行きました。
まあこの部屋(3階)で私がまあこと話している間、2頭はリビング(2階)でプロレスごっこしています。
ここ2〜3日間、2頭は故意に私の気持ちをはぐらかそうとしていたのかもしれません(憶測)前々日は、まあこを主人と私の真ん中に寝かせて夕べのひとときを一緒に過ごしました。主人にもまあこと触れて欲しかったからです。
WindyもRayも同じ時間同じ場所を共有しました。
2頭はまあこを気にせずに?故意にそっとしているのか?って感じでした。
私はこの日、リビングでまあこと一緒に眠りました。
この日は大丈夫でした。「まあこ、ありがとう。オマケを私にくれたのね」と思いました。

そして、昨晩はまあこをいつもと同じようにしてあげようと思い、私はいつもの寝室で眠りました。
なぜだか解らないけれど、今日の午前3時ぐらいに目が覚めてしまいました。
その時、まあこの部屋に行こうかどうかを迷いましたが、眠れぬまま、朝がやってきました。
迷いがあったのは、まあこを引き留められないし、引き留められてもまあこが疲れるだけかもしれない?と考えたからでした。
いつもと同じように、送ろうと、決意をしていた私です。

愛しいまあこ、今日まで本当にありがとう。
一番の宝物。ずっとずっと私達の宝物。

まあこのルーツは河原町商店街の地域猫からです。
おばあちゃんが河原町の地域猫でした。
その娘と息子から(近親?)生まれたのがまあこです。
まあこの両親、兄弟姉妹は既にずっと昔に旅立っています。まあこが一番最後の猫です。私の想いが強いから、まあこは、なかなか、お引っ越しが出来ずにいたのでしょうね。
まあこ、大変だったよね。ホントにありがとう。
今年はまあこの生家にも立ち寄り、生まれ故郷でも挨拶できて良かったね。触れ合った人&犬たちの心にきっと生きているからね。
あはは・・・私としたことが、センチで恥ずかしいかなぁ?

潔くお別れをしなければ、まあこが安心して旅立てないかも?
もう泣くのは辞める。泣いたりなんかしない。
まあこ、私が行くまで時間がかかるかもしれないけれど、
忘れないで待っててね。


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