ペットブームの狭間

ワンコを大切に!そのためには、
ワンコの飼い主自身がもっともっと賢くならねば。。。

ワンコは人類が始めて飼った動物。
その飼育には一万四千年の歴史があります。
ワンコは長い間、使役目的で飼われていましたが、
どうやら日本はその歴史を持っていないらしいのです。。。。
使役目的の為に、人間はワンコの「環境による変化能力」を利用して、
さまざまな犬種を作出してきました。
「犬の訓練の原点はブリード」です。
その犬の使役目的とブリードがそのままヨーロッパでは犬の文化まで高まっ
たのですが、日本においては使役経験も少なく、
ブリードの歴史も大したモノではないらしいのです。
たぶん、アクセサリーのようなペットブームがそうさせたかもしれません?
ヨーロッパ・アメリカで店頭で生体販売をしている店を見たことがないのですが、
日本はそれとは正反対の文化・・・安易に、お店で買うことが出来るのです。
犬を飼うと言う認識自体が大きく違うのではと思います。
我が子が可愛いからと言って安易にブリードする人も少なくはないはずです。
事も有ろうに、儲かると思っている人もいるかも知れません。
誠に困った状況です。。。

「ブリーディングのなれの果て」

最近では、飼えなくなったワンコを平気?で放棄する人が居ます。人間界でも、事件が起こっています。
どうしてこういう事態になってしまうのか、私には不思議でなりません。
入れ墨を義務づけられているワンコは、証拠隠滅のために部位を切られたり傷つけられたりして
捨てられることも?生命の尊さを無視するような行為は許されてはならないと思っています。
レスキューする側も本当に大変な事だと思います。誰かが助けてくれる?そう思って捨てるのでしょうか?
何も出来ない私自身が腹を立てる身分では無いと思いつつも、悔しくて哀しくてやりきれなくなってしまいます。
世の中には優秀な血統が故に繁殖過剰な目にあう犬達も居ます。
そうして、犬達は、次から次へとたらい回しになるそうです。身も心もボロボロです。
こういう行為を許している社会に問題があるのかも知れません。
犬を飼う人は、その犬に対して最大級の尊敬の念を持ち、一生を共に分かち合って欲しいと心から願うのです。
そして、しっかりとした責任(遺伝疾患・性格形成等そして、万が一の事態に対して面倒を見る)を持って
ブリーディングも考えて欲しいです。犬はアクセサリーじゃない、心の友なのだから・・・

「教える・教わると言うこと」

愛犬が家族に加わって、まず思うこと・・・社会性を身につけた誰からも愛される犬にしたい!
飼い主自身がじっくり理解して、愛犬に伝えたいものです。
飼い主自身が愛犬と正面から向かい合い、相互の理解を深めて強い絆で結ばれたい。
心から願っています。


さて、ペットブームが高じて、トレーナー職も増えてきました。
高いお金を払って、少ない経験でそのままトレーナーになる人もいるらしい・・・
そうして、頭の中の知識だけで人様の犬を教えてお金を稼いでいる人もいるらしい・・
全ての犬がマニュアルに合うはずがないのです。
知識は単なる知識であって、環境・飼い主・犬格
様々なファクターから全てが違うはずです。
ついこの間、陽性バ○・強制キ○ガイと言う言葉を耳にしました。
私はこの言葉を聞いて、「はは〜ん!」と思ってしまいました。
どちらも、凄く言い分があるに違いないと思いながら、
反面、未知な人はこの人達の手によって、
さぞ、翻弄されていることだろうと、腹立たしい気持ちになりました。。
無責任なお金儲けに飼い主は翻弄されてはならないのです。

優れたトレーナー(訓練士)は観察力・洞察力があります。
優れた経験で、良い方向へ導いてくれるでしょう。
上辺の言葉でなく、出会ったときから愛犬の心を魅了することが出来るでしょう。
美味しいモノを見せて惹き付けるのではなく、
心であなたの犬を魅了できる人を選んで欲しい。。。
信頼はお金では買うことが出来ません。
それは、人間だけでなく愛犬にも言えることではないでしょうか?

ワンコの飼い主皆が、ワンコを飼う正しい知識、マナーの尊重、
社会への配慮が徹底されてこそ始めて日本に
「犬とヒトの文化」が根付くのではないでしょうか。
飼い主はもっと賢くならねばなりません。

トレーナーを選ぶとき、まずは飼い主自身が、
どんな愛犬にしたいのか、
何を求めるのか、
トレーナーに対してしっかり要求を伝えられなければならない。
トレーナーは、飼い主の主旨を理解しなければならない。

一生を共にするのは飼い主自身なのだから、
トレーナーの言うことを理解できる優秀な犬が作られたとしても、
飼い主との絆が築けなければ、
何の意味も持たない事柄に過ぎないかもしれない。

預けたから、教わったはずだから「出来るはず」ではないのです。
貴方の理解と愛犬の理解が一致したときのみ「完成できる」。
相互の正確な理解が完成への道なのです。
飼い主は可能性を高める為の努力を怠ってはならない。

犬飼は多様で、サラブレットのオーナー感覚の人も存在します。
それは、それで悪いことだとは思いません。
そうゆう環境の犬達は、トレーナーを生涯のパートナーとして
生きる価値を認めているのだと思えるから・・・
この種のオーナーは、優れた血統を作出するために貢献しているとも考えます。
私はシェパと暮らして、トレーニングに訓練所へ通っています。
預けられたシェパたちも身近に目にしていますが、
担当訓練士と共に、訓練を楽しみ、お互い心が繋がっている様子を見ると、
活き活きとした、そしてキラキラとした関係に
憧れの念すら抱きたくなってくるのです(本心)。

私の場合は、愛犬との暮らしそのものを糧としている、
預けてなんぼ?って感覚は存在しません(笑)
が、しかし、優秀に育てられた訓練所の犬達を見る度に、
私のつたない訓練では愛犬に対して
恥ずかしいなぁと言う気持ちになってきます(自爆)・・・

間違ったことは正しく直す(チェック)。
良いこと(正しいこと)はしっかり褒める。
絶妙のタイミングで、
愛犬に正しい理解を伝える事が出来るようになりたい。。。と心から思うのです。

訓練とは決して堅苦しい事ではありません。
一生かけて愛犬とのコミュニュケーションを深めていくために、
目標を高く掲げ、その課程を心から愛犬と楽しむものです。。。

愛犬から信頼を得られるよう、
飼い主は真剣に愛犬と向かい合って、
社会に適応した関係を築いていきたいと思うのです。
犬と人間とは対等ではないかもしれないけれど、
お互いが尊敬出来る関係でありたい
心からそう願うのです・・・

私の個人的なトレーナーに対する疑問
(一切叱らないって、難解です・・)

餌を使ってトレーニングすること・・・
犬は長年人間との暮らしの中で餌で惹き付けなくても
充分理解できる頭を持っている生き物だ。
餌を使ったトレーニングはただ単に、誘導だと思う。
餌以外でも、誘導的な体符、ボールも同じようなモノ?
餌=食べるもの
ボール=ゲーム(遊び)
かな?
餌を使ったトレーニングは健康上、明らかに好ましくない
犬はもっと、もっと高等な生物なのだ
犬に対して敬意を払うならば
餌で教え込むことはするべきでない
万が一餌を使うことが必要だとしたら
導入時のみに限定されるだろう
餌の種類をドンドン上等なモノに
換えていく手法が存在するらしい
どうして、そんなことが必要になるのだろうか?

拾い食いを止めさせる手段としても
叱らないで、もっと良いものを与えるらしい?
私の解釈ならば、犬に利用されるだけだと思うのだが

いけないことは、命がけで叱る事こそ、
愛犬が理解するのになぁ!

喧嘩を仕掛けたときにも餌で呼び寄せるのだろうか?
美味しいものが食べたくなったら、
喧嘩を仕掛けて、飼い主から美味しいモノを貰おう
って、犬が理解したらどうしましょう。

とある流派?では、『リードでのショック、身体的なプレッシャーを使うのは訓練所の強制訓練で、悪いトレーニング方法、虐待です。そんな教えはトンでももない訓練です』っと、訓練所批判をしてから講義を始めるらしい・・・と、情報が入ってきた。そして、その流派の教えは「絶対に犬を叱らないでトレーニングする」のがテーマらしい?叱らないで躾るってのは、共通の言葉を生まれつき持った人間の子供なら有効かなぁ?人間界でも様々な子供の問題が事件として取り上げられる時代になった。教育あり方が昔と変わってきたからかもしれない。他人からの助言に対して背を向ける親たち、昔は、他人からの助言も喜んで受け入れていた子育てだったように思えるのだが、虚しい人間関係になってきたかも?・・・・凄く疑問なのだが、やってはならないことを叱らないでどうやって認識できるのだろうか?失敗を犯したときにはどの様に修正するのかなぁ?単純な私(犬はもっと単純)でさえ経験しないと、叱られないと解らないと思うんだけど。叱らないって、言葉(トーンの強弱)でも叱らないの?凄く疑問!褒めて褒めて、いつも褒めてたら、全てが許されちゃうって認識しないのかなぁ>犬

人間の勝手な解釈をどうやって犬に分かり易く伝えるのでしょうか?どうしても信じられません。どうかその道のインストラクター様、教えて下さい。お願いします。

私は常に犬との相互理解をするために、観察することを第1に考えトレーニングをします。色んな方法を試みます。叱ること(修正)、そして、一緒に喜びを分かつことが理解を深めていくポイントだと確信しています。体罰も使います。以前は無視するって方法も用いていましたが、無視は精神的虐待だと考えるようになりました。出来たときだけ褒めるって方法も、単なる偶然性を待っているだけの方法のような気がします。トレーニングは犬と人間にとってスリリングな緊張感を持って出来ないと、単純な(つまらない)作業に陥ってしまいます。訓練でも家庭犬の躾においてもスリリングな緊張感(真剣度)があるからこそ、犬と一緒に達成感を味わえる。至福の喜びを体感できるモノだと思えるのです。

一般的に、上手く叱れる人が少ないから、その種類の教え方が開発されたのかもしれません。上手く褒めることも難しいと思うのですが・・・疑問です。ペットブームに乗じて、その教えが生まれてきたのかもしれません。前述しましたが犬の経験も少ないままにインストラクターになる人が多いかなぁ?もちろん、インストラクターになってから色んな犬を観るようになって腕を磨くのかもしれません。凶暴な犬がその教えを習おうとしたとき、門前払いされるそうです。それでは教室の意味がないのではないのかなぁ?問題を抱えた飼い主さんだからこそ、教えを求めてお願いするのに・・・・どんな犬に対しても命がけで接することが出来る指導者でない限り、本当の犬の指導者とは言えないと思えるのですが・・・・
犬に対して難解な指導方法を続けることは、私からすれば精神的虐待に思えます。
報われない犬の感情、飼い主が気付かないうちに犬のストレスが増幅して行くばかりです。犬に敬意を持って接するのなら、叱らないで教えることって、果たしてどうなんでしょう?
見た目は優しくて上品な躾方法だけど、私からすると、虐待しているって見えてくる(暴言)

追記:その道の有名な人が、叱らないって教えていますが、アジリティのスタートで一方的な待て(強制)をしてスタートしています。「勝つために、例外として使うのでしょうか?」犬はますます混乱します(爆)。可哀相!性能有る犬が、スピードダウンしたり、暴走します。服従入れるとスピードが落ちるのではなく、一方的な指導手に犬自身が萎えてしまっているのです。相互理解がそこには存在していないからなのです。
指導手自身がマスターしていないのに使い方を誤った結果です。

強制訓練にしても、陽性強化法にしても、使い方を誤ると、犬への虐待だと思うのですが、その様に考えるのは私だけでしょうか?
飼い主は指導者を選べる様に、犬を熟知しなければ。

犬と人の相互理解はどの様に培われるか、一番大切な事だと思います。
強制訓練も陽性強化法も一方的なら、やらない方がましだと思う。

全ての訓練所が虐待訓練を行っているのではないのです。
全ての陽性強化法訓練が悪いかどうかは確かめていないから何とも言えませんが(笑)。
しっかり選べる目を持って望んで欲しいと思います。


服従のトレーニングを競技として楽しむ人も増えてきました
競技会では精度が競われるます
真なる理解を飼い主&犬に指導できる訓練士を
選んで欲しいと心から願わずにいられない

精度とは犬が理解して意欲的に動くこと
けして形通りにこなすことではない
形を、順番を覚えて動くことではない
命令に対して俊敏に正確に意欲的に動くこと

愛犬と付き合えば付き合うほどに私は、
犬の方が私自身より「おりこうさん」なのではと、思わずにはいられない(爆)
なんて私はノロマでお馬鹿な飼い主なんだろう(哀)

トレーニング理論は星の数以上にたくさん存在します。
偏らないで、あらゆる方法を使える飼い主になりたいです。

後書き:最近では人間の身勝手な楽しみのために犬を飼う人も居ます。
ドッグスポーツの普及は愛犬との楽しい絆を作る上で凄く良いと思っている反面、
道具としての犬を増やす結果になっているのも事実なのです。
愛犬と一生涯、幸せを分かち合うことを原点に自分の犬を育てて欲しいと心から願っています。

注)犬と飼う→犬と共に一生、心を繋げて暮らす
私自身が責任を持てなくなったらって?・・・犬と心中かな?ああ、せめて愛犬だけは助けてください。
(独り言)