RAYは(2000.6.13)のオリーの直子、パパと大師匠様に選ばれて、我が家へやって来た。2才を迎えた。
IPOに自分で挑戦して、RAYと訓練を楽しんでいる。Windyでの教訓から、RAYにはIPOしかやらせていない。
その成果、RAYは訓練を尻尾ブンブンで楽しく付き合ってくれるのだ。
訓練モード以外はリードはグイグイ引っ張るし、走り回るし、Windyに負けず劣らずの力任せの犬である。
さて、社会性はというと、家の中で猫と一緒に暮らしているせいか、小さなワンコにとても優しい。
いきなり小さなワンコが威嚇してきても「お母さん、この犬、怒っているよ」と言わんばかりに、
反撃もせず耐えている。
ドックランで積極的に挨拶してくるワンコにあっても、怒らないで、受け入れている。
あまりしつこくされると、私に目を合わせて「何とかしてよ、お母さん」と言っているようなのだ。
シェパードだけに反撃モードを教えたくない、こんな時には、私が上手く交わしてあげるようにしている。
私の理想は、普段は社会性が保てること、訓練では思いっきり楽しめることなのだ。
この2つを両立させるのはなかなか難しいと世間では思われているらしい?
が、両立させることこそ、犬が人間社会で受け入れて貰える道なのだと思っている。
理想論ではありますが・・・
ヨーロッパでは、犬が電車に乗れたり、お店に入れたり、ノーリードを許されたりしている。
犬に対する人の捉え方が日本とは大きな違いがある。
どうしてなのだろうと、考えてみた。。。。。
マナーの意識が違うのかも知れない。
犬飼はどうして犬嫌いから非難されるのだろうか?
私はこう考える、日本では犬が悪いのではなく、犬を連れている私達のマナーが悪いから非難されるのだ。
100%の満足を犬嫌いの人から得るためには、犬を連れている側がしっかりマナーを守らなければならないのだ。
犬連れ同志でも、いがみ合いが起こることがある。
これも、犬が悪いのではなく大抵は、人間の注意不足から起こるのだ。
犬自身に負荷的な問題がある場合を除いて、殆どの場合は飼い主の注意不足から問題だ生じると思っている。
マナーを弁えて注意を最大限に払うことこそ、自分の犬を守る事になるのだ。。。。
(まぁ、なんて、生意気なことを書いてしまった・・100%なんて、私も全然出来ていないのだが・・・)
私にとっての訓練は犬との絆を確かめるための手段。
犬とのコミュニケーションを確かめる為の楽しい遊びなのである。
競技会に出て成績を取るためではなく、訓練自体があくまでも楽しみなのである・・・・
だから、永遠にRAYとは修業を楽しもうと決意して居るのだった。