幼い頃からの憧れだったジャーマンシェパードドッグ。
一戸建てが完成でやっと憧れのシェパードを迎え入れられる体勢が出来た。
ずっと待っていたシェパード。。。
一頭目のWindyを選んだのは、主人と私の親友の所にいた、真っ黒だけどシロという名のシェパ(胸の所が一部だけ白い毛が有る)がきっかけだ。私達は「白」を見て、こんなシェパがいいなぁと、かねてから自然と思うようになっていた。
友人に会いに行った時に、その家の周囲で、ボール投げをしていたシロ。飼い主と楽しそうに動いている。いつもシロの瞳は友人に真っ直ぐに向けられていた。友人とシロとの関係を微笑ましい光景として今でも忘れずに覚えている。
平成8年8月8日八並びのおめでたい日に、シロの同胎の子供が訓練所にいると聞いて、いても立ってもいられずに会いに行った。
訓練所の応接間に通されて、飼い主として適切かどうか?の面接を受ける。『庭は有りますか?、一日のうちでどれくらい犬に接する時間があるか?(最も私は犬に全ての時間を使っても大丈夫な状況)、子犬の時はお日様に充分当たらせてあげること、犬舎の広さ等』、尋ねられた。話が終わって、
訓練所長「では、犬を御覧になりますか?」
私「シロの血統を探しに来ました。会わせていただけますか?」
訓練所長「他にも子犬がいます、色々ご覧になって下さいね」
私「はい、一番会いたいのはシロの血統ですが・・」
そして、Windyが私の目の前にやってきた。Windyは私を見て一目散に私に飛びついてきた。顔中なめ回して。私から、くっついて離れない。
Windy「ねぇ、私を早く、貴方のお家へ連れて行って〜・・」
私はWindyとの初めての出会いに運命的なものを感じてしまった。
訓練所長「まぁ、初めて出会ったというのにこの子は?」
「他の犬もご覧になられてはいかがでしょうか?」
私「いえいえ、この子だけ見れば充分です」
今思えば、何たる衝動的な決定を下したのだが、一瞬にしてWindyの素振りに魅了されてしまったのだ。
Windyは訓練所に故意に残しておいた犬なのか?4ヶ月の月齢に達していた。身体も充分に出来つつあるし、シェパの一頭目として、初心者飼い主の不注意で支障をきたすようなリスクも免れる。生まれたての可愛い耳の立っていないシェパではないけれど、私はWindyとの運命的な出会いに感無量だった。この子を選ばせていただきます。譲っていただけますか?
訓練所長「いいですよ、ただし、4ヶ月は訓練に預けてください」
私「有り難うございます」
余談だけど、主人の同僚は一年程前にこの訓練所でシェパードを入手していた。
後で解ったのだが、Windyは犬の中では高価?だったようだ(笑)。
愛犬の値段を気にしてはいなかったから、どうでもよかったが、心の中で「Windyっていい犬なのねぇ」と満足だった。
家を出る前に、Windy用のグッズを買い揃えていた私。
当時私の車はBMWのセダンだが、Windy用にカバーをセットしておいた。道中は、山道でカーブ・アップダウンが激しい道。私は、Windyが酔わないように十分注意を払って運転して帰宅した。
家について、最初に顔を合わせたのは、猫の「まあこ」。
まあこに、「フゥー」と叱られた。Windyの大きさは既にまあこより大きかったからなぁ(笑)。まあこと無事に初対面の挨拶を済ませて、Windyを庭に出してやる途中で脱糞(爆)。
「緊張していたものねぇ、気にしないから大丈夫だよ」
糞を片付けて庭で、会話しながら自由運動させてあげた。
主人に電話をかける「Windyが家にやってきたよ、早く帰ってきてね」
主人「ああ、楽しみにしているよ」
暫くして、主人が帰ってきた。二人で目一杯の喜びに浸った。
主人「琵琶湖にこれから連れて行ってみようか?」
私「うん、こんなに始めから懐いているから大丈夫だね」
既に日は暮れていたが二人でWindyを車に乗せて琵琶湖に向かう。
安全を確認してWindyを外に出してあげた。私と主人は少しずつ間を開けてWindyを呼び合う。Windyが呼ばれた方に勢いよく走ってくる。
耳はルンルン、瞳は輝いている。
出会った瞬間からWindyと強い絆で結ばれているような気がしてならなかった。今、考えると初めての日にWindyをリードアウトして、呼び合うなんて危険な試みなのだが、言葉では言い表せないWindyとの結びつきを感じていた。
出会ったときから、「呼びのいい犬」だった。私達の感情を一瞬にして感じ取る犬だと思う。「Windyって素晴らしい犬だぁ」って、一番始めの親バカ感に浸ってしまった。Windyを向かい入れた日のことは今でも忘れられない。初めての朝は、早起きして、散歩に連れ出した。帰る途中、私はつまずいて転んでしまったのだが、Windyは、私が転ぶのと同時に、私と地面との間に身を投じてきた。
「わぁ〜、私をかばってくれたのねぇ!Windyは大丈夫だった?Windyって優しいね、有り難う」涙が出そうなくらい、Windyを愛おしいと思った。
感動の一ヶ月はあっという間に過ぎていった。五ヶ月になったら、Windyを訓練所へ入れる約束だったからなぁ?寂しいけれど、仕方がない。泣く泣くWindyを訓練所へ預けに行った。
訓練所長「最初の一ヶ月間は面会できません。犬が慣れてきたら二ヶ月後三ヶ月後は月一回。最後の四ヶ月後は週一回面会に来て、指導方法を学んでください」
私「寂しいけれど、Windyのためだから、よろしくお願いします」
何回目かの面会日、私達と同じように愛犬に面会に来ている人が居た。
私達とWindyの様子を見て「羨ましいなぁ、犬が凄く嬉しそうですねぇ。私の犬は素っ気ないです(笑)」その時は、どういう意味だか解らなかったが、本来なら、訓練中は訓練に集中できる犬(飼い主に対して素っ気ない?)の方が訓練所ではやりやすいかな?って、後で思ったりもした。Windyは私達が帰った後は、恋いこがれてクンクン泣いているに違いない・・・・・
Windy訓練頑張っているかなぁ?と思いながら、家に帰ってくる日を待ちわびていた。四ヶ月後は面会時飼い主も一緒に学ぶ、Windyの父親犬にも、何回か出会った。訓練所長の言うことにしか耳を貸さない?素っ気ない犬だった。
ここではWindyの父ちゃんが看板犬、災害救助犬として、日本で初めて登録された犬がWindyの父ちゃんなのだぁ(余談)。
Windyとのお勉強の前に、Windyを扱う訓練士さんの様子を拝見。Windyは、私達のことが気になっているせいか、嫌そうに動いているように見える。訓練士さんもこの時が一番やりにくいのだろうなぁ?ちょっと、気の毒に思えてしまった。
四ヶ月で引き取ることを決めていた私達に、「後二ヶ月預けてくれたらZPR取れますけれど」と訓練所長から言われたが、「これから、自分で訓練したいのです。ダメでしょうか?」って聞いたら、すんなり承諾して貰えた。当時は躾教室やっていたのかな?
この日から私は、独学で、Windyとのトレーニング、本をあさりまくりながら始めた。Windyのトレーニングは家庭犬として社会性を身につけるのを目標にしていた。競技会で格好良く形を決める為に教えたことは一つもない。だって、不可能だもの。私が教えているのだから仕方がないかな?一番大事なことは、健康な肉体、そして、呼んだら直ぐ来ること。落ち着いて待てること。
色んな場所へ連れて行った。ウィンドサーファー犬=Windyを目指して。。。。。主人がウィンドに乗っている間、私とWindyは、堀堀ゲームしたり、ボール隠しゲームしたり、水遊びしたり、砂地をかけっこしたりして遊んだ。レストラン・人混み(銀行・郵便局・駅)へも、しばしば連れて行った。人・犬にも充分に慣らさせた。
そんなさなかにに出会ったドッグスポーツがフリスビーだった(Windy一歳半)。フリスビーは気軽だけど、身体に負担が掛かるスポーツ、ケガをしにくい身体づくりに専念した。冬でも、二月の一番寒い日を除いて、毎日水泳させた。水泳のない日は山の散策。自然の勾配を利用して筋トレ。何処へ遊びに行っても、Windyは遊んでいない時は必ず荷物の傍でくつろいでいる。私達の傍でくつろいでいる。何処へ行くにも安心なWindyに育った(親バカ)。
Windyの瞳に写っているのはいつも私と主人なのだ(親バカ)。あちこち行った経験から学んだのかなぁ?フリスビーを始めてから生肉をフードに混ぜて、サプリメントも加えた。そんな生活の御陰か、Windyはプリプリで絞れた体形になった。フリスビーは始めて間もないと言うのに入賞できて、トントン拍子にファイナル出場。
パパはディスタンス競技・私はフリースタイルで出場した。同じくシェパードでフリスビーをやっていた塚崎さんに出会えたのも、幸運だった。素晴らしい人だ。Windyがこれまで健康で元気でいられるのも、アドバイスを与えてくれる人達の御陰だ。そうしているうちに、Windyは四歳になった。この頃のフリスビーは多くの大会でポイントを獲得しないとならない状況になっていた。過酷なスポーツだけに、あっちこっちへ遠征する事に疑問を感じだしていた。そんなさなか、エクストリーム(一等賞金一〇〇万円)が始まった。犬バカな私と主人は、ちょっと、気を惹かれてしまった。
「Windyにスラロームなんかおしえられるのだろうか?大体アジリティもやったことがない。」と想いながら、道具を手作りして、庭で練習するようになる。一番苦手だったスラロームが、一番得意な道具に変化した。そして、初めて予選に出てみた。「まぁ、こんなもんかな?」予選二回目は主人が職場の旅行で、私一人でWindyと遠征した。そ・し・て、とても幸運なことに、上位入賞。あまり昔だから覚えていないけれど、嬉しくて主人に電話した事を覚えている。予選会場にはフリスビーの知人が一家族だけだった。そんな状況でファイナル権利を勝ち取ったのだぁ!一〇〇万円は遙か遠いところだが、Windyのアジ犬生がこの日から始まった様な気がする。
「楽しいければ」って、そんな想いで、Windyと始めただけのことなのだけれど、「トントン拍子って、この事かなぁ?」って、親バカ人生に拍車がかかってきた。
フリスビーからアジリティに移行する犬(同じ犬)は当時はそんなにいなかった。会場で出会った知人S氏はシェパでフリスビーの達人だが、エクストリームにはオウシーで出場していた。投げたものをとってくる場所を選ばないで練習できるスポーツとはちょっと違うからかも知れない。
フリスビーは投げる人の腕が重要だ。アジリティは犬のコントロールが難しいし、道具が必要。シェパでフリ・オウシーでアジする友人は凄い人なのだぁ(尊敬)
Windyのスポーツドッグ犬生はここから果てしなく続いているが、いつでもベースは身体づくり。アジリティへの導入編としてエクストリームがあった。きっと、始めにアジリティを知っていたら、タッチを飛ぶのを、スタートで待てないのを修正できていたかもしれないが、エクストリームを知らなかったら、アジリティもやっていなかったかもしれない。プラス思考で今のWindyが存在する。
色々体験をして、色んなポケットが脹らんできた。
Windyに出会えて本当に良かった。
Windyも楽しんでくれているのかな?って、時々考える。
Windyと私は単なる親バカ漫才ペアーに過ぎないけれど、
「いつも、一番楽しそうに走っているね」って言われると、
何よりもの幸せに思えてくるから、大成功かな?
そして、最近は、「歳を感じさせないね」って言われるのも嬉しい。
老化はいずれやってくるけれど、強い絆で結ばれているから、
これからも、楽しくやろうと心から思う。
Windyだ〜いすき♪
Windyありがとう♪
続き〜S犬二号へ
《無断転載を禁ず》

|